経験をして

育児法によってこれらの習慣は切り捨てられてきた。

こわく独立個人の集まりとしての家族
妻はとにかく、夫である私をコントロールしようとしません。
いや、もっと大きく言えば非常によくコントロールしているのですが、どういうものを着ていけとか、日常のことであれこれと麸が世話を焼くということはありません。私も世話を焼かれるのは大嫌いです。どうか放っておいてほしいと日夜願っているわけです。
夫婦といえども独立した個人の集まりです。そこからすべて発想して、子どもたちも!
人ひとり独立した個人として育てたので、私の家は独立個人の集まりという形になりました。願った通りの結果です子どもが生まれて、最初の頃は二人で共同作業しないと追いつかなかったので、妻が子どもにミルクを飲ませている間に私が料理を作るとか、適宜交替してやっていたものでし六しかし、今は子どもたちが二人とも外国に行ってしまって、夫婦二人になると、二人でいる時の料理はすべて私がやるということになりました。
子供との会話がなくなってきます。

子どもにやらせるのではなく


子どもたちについて

>教育によい効果が現れるように努力しましょう。もっとも麸は一人きりの時はろくに何も作らないので、結局私のところでは料理というものは、ほとんど私の専権事項であります。これは朝昼晩ともすべてです。しかし、これは私が好きでかつ得意だからやっているだけで、麸は料理なんか嫌いだし不得意だからやらないというだけで、男女による役割分担は事実上ゼロです。家庭の中で、主婦だけの仕事をなるべく減らすように努力してきた結果として、そういうことになってきたのです。
そういうわけで、私としては、いちばん心置きなくなんでも話すことができる相手がほかならぬ凄であります。


子どもの心身をスポイルする今や日本全体が豊

先生である以上教科

子どものために努力する教師そして毎日あれこれと楽しく会話を弾ませている日常ですから妻のほうでも家にいて私と話しているのは一つの娯楽であることは間違いありません。
そこで、私は「どうぞ、ボーイフレンドでもなんでも、適当に遊んできていいですよ」
と言うのですが、「キミほど面白い人は滅多にいない。
これに対して彼女は外へ行って、つまらないおやじとなんで私が話をしなければいけないのかと思うことばっかりだからねえ」
などと言っております。
ルかもしれない。
いや、これこそは究極の誉め殺し、麸のヨイショ·コントロー

言うことをきく子·きかない子

言うことをきくチは
いいチ言うことをきくいい子
ってなに?
子供の問題をますます大きくすることになるのです。

子供にもいろいろ注意を与えているようだけれど近年、マスコミや知識人の間では、言うことをきくいい子の評判がよくありません。
カルト集団の幹部は教祖の
言うことをきく人ばかり、そのうえ、幹部のなかには小さいときから先生や親の言うことをきく素直な子が多かったではないか、と。
けれど判断力を失って強いもののます言いなり
になるのと、きき分けがいいのとは違いまたいい子であることに疲れた子が、途中から急に不登校になったり、非行に走る例もしばしば耳にします。


子供の向く方向を見きわめているか。

これは、心から親の言うことに従ったのではなく、心のなかでは違うと思いながら、無理をして言うことをきく演技をしている子どものケースです。
このように言いなりになる言うことをきく演技をする場合は、たしかによいケースとは言えません。

言うことをきくよいケースとは、それとは反対に、親が自分を愛していることを実感し、心から信頼して親の言うことに従うケースです。これは言うことをきく演技をするのとは違います親の言うことが首尾一貫していて、よいことと悪いことの基準が子どもに伝われば、子どもは
言うことをきく,から、さらに言われなくても何をなすべきか、自然にわかる子になるのです。
教育していいのかを迷っていた時代です。

子どもに育ってしまいます。

小学校の同級生であったのでよく遊びにいった。そこが、命令されて何をやる言いなりになるのとの違いです。
四六時中子どもと一緒にいるお母さんは、心の底では、自分の言ったことを子どもが素直にきいてほしいと思っています。それは当然のことなのです。
ここでは静かに待っていてねと病院の待合室で大きな声を出してはいけないよと公民館でお菓子は買わないからとスーパーで親が言ったとき、子どもが素直に言うことをきいてくれたら、子育てはどんなに楽になるでしよう。
ここでお母さんが言いきかせようとしていることのほとんどは、社会生活をするうえでのルールです。つまり、お母さんの言うことをきく子は、社会のルールを守れる子
とも言えるのではないでしょうか。