子どもはますます自信をなくしうっとうしくほざく。

成績の良い子は優れた子

それ以外のところで、たとえば絵描きになりたいとか音楽家になりたいとか、そういうことで自己実現しようとは思わなかった彼女はいわゆる優等生ですが、普通のサラリーマン家庭でしたし、一流大学を出て堅実な男性と結婚するのが女の幸せだというような、古めかしい価値観の中で育てられたので、さて自己実現といっても何をしたらいいか分からなかったことでしょう。そこで、子どもを手塩にかけて育てることが妻にとって当面の自己実現だったと思いますしかし、子どもは次第に大きくなって母親の手を離れていきますそうなると、いよいよ子育ても終ってからの、第二の自己実現を何か目指さなくてはならなくなりましたそこで彼女は、文化放送の放送作家塾というものが開講されたのを知ってその第一期に応募し、慣れない世界でしたが、そこで一生懸命勉強させてもらいました努力はすべてを解く鍵です。
子どもがいざ

成績が悪ければ


母さんの大切な務めなのです。

>小学校入試のために塾に通うなどは世界に類例がなくやはりやってはみるもので、放送作家塾を終えたあと、幸いに彼女は文化放送の関係局で週に一、二度と、東京·田無のコミュニティFM局でも、仕事をさせてもらえるようになりました。今では、彼女は彼女専用の書斎で独自のコンピュータを駆使し、せっせと調事をしたり台本を書いたりして、楽しそうに放送局へ出かけていきます。もとより、それで生計が立つほどの収入になるわけではなく、まあ、ボランティアみたいなものですがそれでもお小遣い程度の収入にはなるし、何より外界との接触のある生きがい仕事としては、クリエイティブでとてもいいのではないかと思っています。もう一日中家の中に閉じたなしこもっている時代ではないのですからというわけで、今や、彼女もずいぶん忙しくなって、大変だ大変だと言いながら、しょっちゅう台本を書いています。家の中だけではなく、社会の中でも自分の仕事が認められ必要とされるということに意義があるわけでしょう。


父親というのはとても厳

子どもを自立へと導くのです

子供のよき観察者妻の場合は、双方の両親に理解があって手厚く保護されて暮らしていたおかげもあって幸い安んじて子育てに邁進してきました。もちろん私も夫として、人並み以上に家事育児には参画してきたという自負があります。
けれども、世間一般では必ずしもそうではありません。
すると、たいていの家では、凄が子どものオムツを換えたり、世話に明け暮れしている中で、時おり、はたして自分の人生はこれでいいのだろうかと懐疑する時もきっとあるに違いない。そしてそれはやがて、子どもが巣立っていくのを受容できない子離れ不全ともなり、あるいはその後の空の巣症候群と言われるような精神的不安にもつながっていく問題ですからしかし、思うにそれは凄が一人で子育てをやらされている疎外感に根本的原因があるのです。子育ては夫婦の共同参画事業だ、ということがまずもって大切なところです。外で
仕事に忙しいから子育ては凄に任せた、なんてことを言っている夫は、今や犯罪的であると指弾されなくてはなりません。そんなにして子育てを犠牲にしてまで会社に尽くしたって、リストラされちまったら、なんにもなりません。
大学を卒業するとかしないではなくて

母さんを見捨ててしかし、子育てという崇高な事業には決してリストラなんてことはありません。そこにしっかりと夫も参画しているなら、妻が一人疎外感に悩まされるなんてことはあり得ない道理です。そうではありませんか。夫と共同で社会のためにやらなければいけないボランティアだと思えば、子育ての、二十年なら二十年間は決して無駄ではなかったので、それが自分たちがこの世に生きてきた証、存在理由だったとさえ認識することができて、どこにも疎外感など感じようがありません。それもこれもひとえに夫の見識にかかっています。
そうやって、粒々辛苦、二人して手を携えて子どもたちを育ててみれば、子育てをしなかった人よりもそのぶん、それだけ豊かな経験と知恵を持っていることになります。


勉強とはずいぶんキザだね

そうなれば、何かものを言う時の説得力も違ってきます。
たとえば、独身時代からある程度物など書いてきた人が、子育ての期間は休業状態になったとしても、復帰しようと思った時に、十年、十五年間の子育て経験が、どれほどものを言うか。小説家でもずいぶん説得力の違うものが書けやしまいかということですものは考えようです。ただただ同じことを毎日やっているだけが自己実現の道ではなくて、もっと遠い先の十年後に意識を据えていくならば、子育てに邁進することもまた、次のステップへジャンプするために、膝をかがめている状態と思えるのではないか。
母のことも認めよううにはなりたくない。

子どもなどいるはずはないのです

母さん自身が手本となって身をもつてそう思って安んじて子育てをしたらいいんです。人生は長い。中年以降になってから作家になったなんて人はいくらもあります。特に児童文学作家なんかは、自分も子どもを育てた人の書いたもののほうが、おそらく圧倒的に深みがありましょう。何も子育てに自分の人生を無駄にしたなんて思わずともよいのです。ああ、めでたくも子を授かって、十分に育てさせてもらった、それによって、素晴らしい経験と勉強をさせてもらったと、こう思えば、こんなに嬉しいこともないのではないでしょうか。
しかし、それにつけても、言をしなくてはいけません。