勉強も必要です。

子どもにとって大事

子どもたちが育っていく過程で、常に父親の勉強している姿を家の中で見ていたということがあると、知らず知らずに勉強する人生、一人でこつこつ努力する人生というものが、脳の奥深くに刷り込まれて、彼らの人生の指針になっていくのかもしれません。そう考えてみると、私の父も、若い頃から、家の中で本を読んだり論文を書いたり、しょっちゅう机に向かって勉強していたことが思い出されます。だから父は休日も忙しくて、とても私たち子どもを相手にキャッチボールだ遊園地だと遊んでいることはできなかったのでしょう。やはり親の責任は子どもの将来について、大事な情報を提供することに違いありません。
父親に限らず母親でも同じことです。親が真剣に勉強している姿を見ながら育つと、子どもは人生とはそういうものだと、いつしか思うようになるのでありましょう。そういう日常の姿が、自然と強固なる知的教育になるだろうと思います。
大学を卒業するとかしないではなくて

先生にもほめ


父親ではなく

>母親役を世間といって、学者研究者の子どもが必ずしもアカデミズムの世界に進むとも限らない
現に私の兄は大学を卒業後広告代理店に就職して、今もサラリーマンをしていますからそこには環境だけでは説明できない、何か素質のようなものが介在するらしいことが分かります息子は医者になるといっても、まだ卵の段階で、これから一人前の医者になるまで、さらに七、八年はかかるでしょう。当分は私の保護下にあるわけですが、しかしせいぜい勉強専一にがんばってほしいと親としては望むところです。
娘は美術で身を立てていきたいと言うのですが、それならば趣味ではなくて、プロの仕とつねづね言い聞かせていますプロの道は厳しい。
事をせよ、しかし、今のところ私の庇護下にあるからいいけれども、一人で
立っていくとなったら、安直な仕事をしていたら続かない。


母親への依存心を強めてしまいます。

体験させてあげましょう。

母さんに限らず我々大人それまでの仕込みの努力が人並みではいけません。人並み外れたプロの仕事をする人でなければ世の中は認めない。そういうのは、もちろん大変な道だけれど、どんな無理な日程でも、泣きながらでも、徹夜してでもやるのがプロというものだ。そうすれば世の中はきっと認めるだろうと、ずいぶん厳しいことを言ってあります。
そして技術というものは、徒然草にも言ってある通り、何か秘密に稽古して上手になったら世に出そうなんてことを言っていると、いつまでたっても物にはなりません。まだ発展途上であっても、ともかく、石に齧りついてでも、仕事としてやらせてもらうそうして恥をかいたり、叱られたりしながら、汗水たらして自分を鍛えていくのでないとこういう特殊な技術の仕事は立ち行かぬものです。このオン·ザ·ジョブ·トレーニングというやり方で、日々腕を磨くように、いろいろと仕事を与えて今彼女を鍛えているところですかじ私の二人の子どもは、二人とも、慶應義塾大学に進学しながら、二年次になる時にそこを出て、イギリスに渡り、それぞれの道を目指しました。
経験をして

子どもにアメを与えるのと同じです。二人がそうした理由は同じではありませんが、しかし、敢えて安穏ならざる道を選んだのはなかなか偉いと思います普通だったら、中退なんかしないでちゃんと卒業し、慶應義塾大学卒の肩書きを付けたほうがいい、せっかく慶應に入って、それをみすみす捨てるなんてもったいないじゃないか、と親は言うに違いない。また事実私の周囲でも、どうして慶應を卒業してから留学させないのかとアドバイスする人もいます。
そういう安泰な道を歩かせたいというのは、まあ、普通の親心かもしれません。
しかし、私は、そういう人生を歩くな、行くに険しい隘路を行けと、子どもたちに教えてきたわけです。だからこそ子どもたちもそれに応えて、自ら険しい道を選んだのですから、私としてはそのことに対して深甚の敬意を払いつつ、どこまでも助力を惜まない、というのが取るべき立場であるに違いありません。


小学校三年生の北原なおみちゃんの作文

とはいえ、子どもがイバラの道を歩くということは、親もイバラの道です子どもががんばって異国で辛い勉強をしているのだから、それを経済的に一切心配なく支えてやらなくてはなりません。それは、並大抵の出費ではないので、これから先、私も一生懸命、どれほど頑張らなければいけないか、それは苦しい毎日が続きます。その覚悟をしないと、子どもにイバラの道を行けとは到底諭すことはできません考えてみれば、一昔前までは、とにかく、一流大学でも出て有名企業に入ったらそれで親の仕事はおしまい、あとは社会人として子どもたちも一生安泰であろうと、高をくくっていればよかった。
子供との会話がなくなってきます。

勉強をしてから挑戦しなさいと言うんです。

子供なりに与えられたことを果たそうとしてのんきなものでした。
しかし、今や時代は変わり、価値観も転倒しつつあります。もう終身雇用で一生安泰なんてことは言っていられない時代に突入しているのです。どんな大企業でも有名会社でも明日は倒産ということがないとは限りません。倒産しなくても、ちょっとできが悪ければ容赦なくリストラのリストに載せられてしまうかもしれません。そういう時代なのですこの不確実の時代に、いったい何を子どもに教訓したらいいかと考えた時に、寄らば大樹の陰行くに大道を行けと言うのでは、もう駄目です。その大樹や大道がいつ倒れ崩れないとも限らないからです。とすれば、子どもたちの一人ひとりが、いわゆる余人を以ては換えがたいという独自の価値をもった独立の人間となるようにと諭すのが親の教えの王道となっていくでありましょう。